Steve Aoki

インタビュー:スティーブ・アオキ

日系アメリカ人のDJが語る東京、人生、ケーキ

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ここ数年でスティーブ・アオキの名は世に大きく広まった。しかしそれだけではない。精力的な活動を続ける彼は、世界中を駆け回りながら、その無尽蔵のスタミナでいくつもの記録を打ち立てた。批評家が何と言おうと、彼は移りげなEDMの世界で確固たる地位を築いたのだ。

スティーブは現在1ヶ月に24回のショーを行うチャレンジをしている。そんな彼が貴重な休みの時間を割いて、ラスベガスの自宅から電話インタビューに応じてくれた。話題は東京の良さ、人生の教訓、そして東京のケーキの素晴らしさにも及んだ。

ーあなたはいろいろな場所を行き来していますよね。寝る時間はあるのですか。

まぁ、今現在も自宅で話してるように、休憩時間がないことはないんだよね。ヨーロッパで毎日違う都市を点々としているのとは少し違うんだ。昨日の夜は、スタジオで次のアルバムの制作に取り掛かっていたんだ。このアルバムは来年の今頃に出る予定だよ。スタジオの後、ラスベガスでショーをして、少し自宅に帰る時間があったんだ。

ここ数年はいつもいろいろなところに移動していたから、時間があるときに寝るという感じだったんだ。とはいえ、そんな時間はあまりなかったから、寝られるときはまさに至福の眠りという感じだったね。

ーパフォーマンスやDim Makのコレクションなどで、以前から東京によく来られてますよね。東京でお気に入りの場所はありますか。

いつも日本のデザインとファッションの文化が好きだったんだ。藤原ヒロシとか日本のデザイナーの友達も何人かいるし、原宿のGR8みたいなショップも好きだな。あと新宿をウロウロして、小さなショップを見て回るのも好きだね。もちろんラーメンも外せない。六本木に小さいいい感じの店があって、そこがお気に入りなんだ。たくさん買い物もするね。

東急ハンズも大好きだ。あそこはたまらないよ。変わったものを探すにはあの店が一番だ。日本の面白いものやガジェット、コスチュームとかね。パルコのPLAZAに行くのも好きだね。昔ファッションショー関係で一緒に仕事をしたんだ。だからあそこにはよく行くよ。日本では食べ物の専門店がたくさんあるから、焼鳥を食べたければ焼鳥だけの店に行く。いろいろな店を回って、試してみないとね。

ー日本にいる時にこれは苦手だなと思うことはありますか。

自分が日本語を話せないってことが嫌だな。これは人生で一番後悔していることの一つ。若い頃、日本語を学ぶチャンスがあったんだけど、学ばなかったんだ。まぁ、ちょっとは分かるんだけど、長い会話ができないんだ。自分には100パーセント日本人の血が流れているから、やっぱり残念だよね。それが一番痛いところだろうね。

ーそれに関連して、自分のファミリーネームをどう発音しますか。

ははは。僕は2つの文化圏の狭間にいるんだよ。いや、3つかな。アメリカでは「アイオーキ」だね。特にフェスなんかでパフォーマンスをしている時、みんなが「アイオーキ」と呼ぶから、アメリカにいる時はこの発音でいかないといけないんだ。日本にいる時は「スティーブ・アオキ」と発音するね。ヨーロッパでも同じく「スティーブ・アオキ」。というのも、ヨーロッパの人はちゃんと発音してくれるんだ。スペイン人も「アオキ」、イタリア人も「アオキ」、ポルトガル人も「アオキ」、フランス人も「アオキ」、ドイツ人も「アオキ」と呼ぶんだよね。

ー以前はあまり私生活について話しませんでしたよね。でもNetflixのドキュメンタリー(「I'll Sleep When I'm Dead」)が出てからそれが変わったように思います。

そうだね。変わったよ。自分自身もだいぶ変わったからね。あのドキュメンタリーフィルムは、ジャスティン・クルック(Justin Krook)がほぼすべての構想を練って、監督したんだ。つまり、フィルムの内容の多くは自分の想定外のものだったんだ。まさか家族の問題や自分のバックグラウンド、父との関係なんかについて語ることになるとはね。アオキの父親は、アメリカのレストランチェーンの紅花(BENIHANA)創業者の青木廣彰